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立命館大学メディア芸術研究会

立命館大学学友会学術部公認団体「メディア芸術研究会」の公式ブログです。ブログや当会についてのお問い合わせは 2010mediart@gmail.com まで 公式ツイッターもご覧ください。 https://twitter.com/rumas_n

復刻版5月号

ZINLOSS復刻版

一時は存続が危ぶまれたこの企画ですがなんとかなりました。

今回は 2013年春号であるvol.13の三木筆氏による「経済学から見る転売屋」です。スクロールしてどうぞ。

 

 

 

経済学から見る転売屋

文責:三木筆

【はじめに】

 コミックマーケット(以下コミケ)は年に2回、夏と冬に行われる世界最大規模の同人誌即売会である。元々は1975年に参加サークル数32,参加者数700人で始まったイベントだったが、昨年の夏は三日間の累計来場者数56万人を超えるなど日本でも最大級のイベントとなっている。しかしこの三十年以上の歴史の中で、コミケは参加者のモラルの問題、イベントの大規模化に伴う問題を内包してきた。以下ではネット上でも特に話題に上る問題である「転売屋」について①経済学的な観点から、そして②倫理・道徳的な観点から、という2つの観点を持って考察して行きたいと考える。

 

【転売屋とは】

 転売屋とは主に数量が限定されているなどの理由で入手困難な商品を入手し、主にインターネットオークションを利用し高値で売却することを生業・趣味としている人の事を指す。転売屋には迷惑防止条例違反で逮捕される転売屋と、迷惑防止条例に引っかからない転売屋の2つがある。

まず前者はいわゆるダフ屋と言われているもので、①転売目的でチケットや券を、公衆に対して発売する場所において購入すること。②公衆の場で、チケットを他者に転売すること、のいずれかの要件が満たされていた場合ダフ屋行為に該当する。後者は限定グッズのような後々値段が上がる商品を入手し売買する人々であり、チケットを売買してないため上記の迷惑防止条例にはあたらない。前者は迷惑防止条例違反であり問題があるのは明らかである。しかし後者が迷惑防止条例違反ではないからといって果たして問題のないことなのであろうか。以下では主に後者の転売屋について書く。

 

【市場の原理】

転売を認める意見には次の2つがある。1つは個人の尊重に関わるもの、2つ目は社会的効用の最大化に関わるものだ。 1つ目の主張によれば人々は他人の権利を侵さない限りなんでも自由に売り買いすべきだ。つまり規制をするということは転売するという個人の自由を侵害すると考えている。

2つ目の主張は経済学と関係が深い。つまり市場取引は売り手と買い手双方に利益を生み出し社会的福利、あるいは社会的効用を向上させる。社会的効用になじみの無い方は「幸福度」という言葉に置き換えてもいい。行列に並ばずに会場の値段よりも高い金を払うことで買い手の福利は向上するだろう。さもなくば高い金を払わずに並んだはずだ。一方、行列に数時間並んで転売利益を得ることで「転売屋」の福利は向上するに違いない。さもなくば彼は並ばなかったはずだ。取引の結果双方の福利が向上し我々の効用は増大する。経済学者が言う自由市場は財を効率的に分配するとはそういうことである。自由市場の議論が正しいとすれば転売屋が非難されるのはおかしい。むしろ彼らは称賛されるべきだ。不当な安値のついている財を支払い意思額の最も高い人の手に渡るようにして社会的効用を増大させているからである。

 

【市場vs道徳 】

では転売屋を非難するのはどういう意見なのか。まず一つ目は「本当に買いたいと思っている人が買えない」という主張であろう。しかしこの主張は少しおかしい。転売屋が購入者の数を減らすということはない。確かに転売屋がいなければ別の人に商品が渡るのは当然である。しかし転売屋から転売される人もその商品を欲しがっている。だからわざわざ高い金を出して転売屋から購入するのである。

転売屋を非難する意見はこういった方が適切かもしれない。「高い金を出せない人にとって転売行為は不正そのものだと。転売行為のせいで貧乏人は不利な立場に追いやられ商品を手に入れるのが難しくなる」これに対し自由市場主義者はこう答えるかもしれない。「販売者が商品を最も欲しい人に渡って欲しいと考えるなら、その商品を最も高く評価してくれる人がそれを手に入れるべきであろう」と。

しかしこの論には説得力がない。なぜならある財への支払い能力が、その財を最も高く評価しているとは結びつかないからである。例えば野球の特等席のチケットを買う人が、外野席に座っている初めて球場にきた野球少年よりも、その試合を重要と感じているかは断言できないであろう

 

【市場と祭り 】

ただし自由市場主義者はさらなる根本的な反論を免れない。つまり市場だけで考えるだけでは不十分だということだ。一部の財は、それが個々の買い手や売り手に与える効用を超える価値を持っている。市が主催する無料の芝居について考えてみよう。それは一種の市民的な祝典である。もちろん座席には限りがあるがその考えとしては、支払い能力にかかわらず誰にでも自由に劇を見てもらおうということなのだ。贈りものと考えているのに並び屋に儲けさせるのは目的にそぐわない。そんなことをすれば公的なお祭りが商売に、個人が利益を得るための道具になってしまう。そうすると市としては贈り物のつもりが、逆に料金を払わせているようなものである。

コミケに関しても同じことが言えるのではないだろうか。『コミックマーケットC61カタログ 理念と目的』から引用する。(太字は筆者の独自の判断)

コミケットは企画参加者としてのサークル、読み手、受け手としての一般参加者、そして準備会の三つの構成要素として行われるマンガ、アニメ、etc.のファンの交流会です。コミケットをとり行うのは全ての参加者であるというのが基本であり、参加者全員は全て平等であらねばなりません。━コミケット営利を目的とせずマンガ、アニメなどに関わるアマチュアのために力を貸していくシステムであり、ひとつのムーブメントとして自らを規定します、とされている。

このようにコミケは交流会で営利を目的とはしないイベントであり、市民的な祝祭と同様の性格を持っている。またコミケ参加者にとってもコミケとは年に2回のお祭りである。彼らにとって市場的な利益を追い求める転売屋が存在することは、そのお祭りの目的にそぐわないのである。

 

【市場と道徳】

転売屋から商品を買うという行為は、道徳の倫理(順番をまつこと)を市場の倫理(お金を払って良いサービスを受けること)に置き換えてしまう。お金を払うことと待つことは物事を分配する2つの異なる方法であり、それぞれ異なる方法に適している。「早い者勝ち」という道徳の倫理には平等主義的な魅力がある。この原則は公衆トイレなどの行列にふさわしいように思える。裕福な人だからといって割り込みを認めるのは奇妙であろう。しかしだからといって行列の倫理はあらゆる場面を支配するわけではない。家を売りに出した時に最初の申込者を受諾する義務はない。より多くの金を出す人に売るべきなのだ。家の売買と公衆トイレは異なる活動であり、1つの原則があらゆることに当てはまるわけではない。

ここで転売屋について考えてみると。上記のように転売屋を非難する意見としては道徳の倫理からの観点から、擁護する意見は市場の倫理から導かれる。しかし実際我々は対立するどちらか一方の倫理のみで物事を判断することは無いのである(例えば動物実験は医学の発展と道徳の間で論争がおきる)。大事なのはバランスでありどちらかの倫理をえこひいきしてはならないのではないだろうか。

近年道徳の倫理が市場の倫理にとって代わってきている。お金を払っての行列の割り込み(並び屋、転売屋)が盛んになったのは最近のことであり30年ほど前では想像もできなかった。コミケというお祭りにも市場の倫理が侵入したことで両者の間に軋轢が生じるのは当然といえるだろう。

 

 

 

【参考文献】

マイケル・サンデル『それをお金で買いますか――市場主義の限界』鬼澤忍訳 早川書房 2012

・最終日は21万人が来場 3日間で過去最多タイの56万人 震災前規模に - MANTANWEB(まんたんウェブhttp://mantan-web.jp/2012/08

コミックマーケットC61カタログ 「理念と目的」

 

いかがだったでしょうか? 来月も(多分)お楽しみに。