立命館大学メディア芸術研究会

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復刻版6月号

3回目の「ZINLOSS復刻版」のコーナーです。今回は2012年秋号vol.12よりがはく氏の「日米ヒーロー像比較論」です。ではスクロールしてどうぞ。

 

 

日米ヒーロー像比較論

アメリカン・ヒーロー日本でもヒーローになれるのか~

    

がはく

 

はじめに

あらゆる国において、正義を遂行し人々や世界を救う存在としてヒーローが存在し、そのヒーローを中心に据えた物語作品が数多く存在する。日本でも数多くのヒーロー物作品が存在する。ウルトラマン仮面ライダー、戦隊物のヒーロー達はもちろん、『ドラゴン・ボール』『NARUTO-ナルト-』、最近では『TIGER&BUNNY』など数多くの作品が挙げられる。また、近年ではマッドハウスにより、『アイアンマン』、『X-MEN』、『ブレイド』などアメリカン・コミックスの代表的な出版社であるマーベル・コミックのヒーロー作品を映像化したものが放映された。しかし、一言にヒーローと言っても各国や地域において、そのヒーローの在り方には異なる点が見られる。今回は日本とアメリカにおけるヒーロー像を比較し、そこからアメリカン・ヒーローは日本において受け入れられるのかについて論じていく。

 

アメリカ的なヒーローとは

 まずはアメリカ的なヒーロー像について論じていく。亀井俊介氏の『アメリカン・ヒーローの系譜』によると、アメリカのヒーローの特徴はピルグリム・ファーザーズと「アメリカのアダム」をキーワードとしているとされる。「アメリカのアダム」とはアメリカというヨーロッパ文明の影響を受けていない未開の地で清教徒の信仰の自由を実現しようとしたピルグリム・ファーザーズのことを言う。

彼らは未開の原始的な自然を有していたアメリカ大陸を「荒野(Wilderness)」呼んだ。この「荒野」とは聖書の中の「出エジプト記」において、モーセによる導きによりイスラエル人がエジプトからの支配を逃れ、約束の地「カナン」に脱出する際にイスラエル人たちが歩んだ砂漠のことを言う。

ピルグリム・ファーザーズは自分たちが旧世界であるヨーロッパ大陸から新世界であるアメリカ大陸に脱出する様をこの「出エジプト記」になぞらえ、未開の地であるアメリカ大陸を「荒野」と呼び、その「荒野」という試練を乗り越えることで、約束の地である「カナン」、つまり自分たちの理想郷にたどりつくという意志を持ったのである。この時、彼らはこの人間の手が入っていないアメリカ大陸を「新しいエデン」と呼び、自分たちをその土地にすむ無垢で純粋な存在であり、たくましい開拓者として自身たちを「アメリカのアダム」と称するようになった。

そして、彼らはこのアメリカという荒野に立ち向かう自然人を人間の理想像とし、誇りとすると同時に英雄とした。これが現在まで続くアメリカのヒーロー像の本質であるとされている。

また、このように荒野に立ち向かうたくましい人間を理想のヒーロー像としていることから、アメリカにおけるヒーローは強靭で大きな肉体をもつものとされることが一般的である。これは単にフロンティア時代において、開拓者に強靭な肉体が必要とされていたためだけでなく、高度な知性を象徴するヨーロッパ文明に反抗するために反知性的で野性的な肉体を対抗する存在として無条件の信頼を得るようになったのである。そのため、アメリカで英雄的な存在として扱われる人物は実際よりも大きく強靭な肉体を持った人物として描かれることが多い。この特徴はアメリカの西部劇からも見てとれる。カウボーイは馬に乗って何キロもの距離を移動するため、カウボーイが大柄な人間である場合、馬がすぐに疲弊してしまう。そのため、本来カウボーイは体重の軽い小柄な人物である必要があった。しかし、西部劇でのジョン・ウェインクリント・イーストウッドといった俳優たちはみな大柄な人物である。ここからも、アメリカにおいて、ヒーローとは大きく強い肉体を持った存在であるべきという考えが一般的であるということが分かる。

さらに、アメリカではヒーローは成功者でなければならないとされる。フロンティア時代では失敗はそのまま破滅を意味していた。この思想は現在でも根付いており、あらゆるジャンルにおいて成功者は国民的英雄、すなわちヒーローとして扱われる場合が多い。アメリカン・コミックのヒーローにも社会的成功者であるキャラクターは多く、『アイアンマン』のトニー・スタークは大企業スターク・インダストリーズの社長であるし、『バットマン』のブルース・ウェインは大企業ウェイン・エンタープライズ筆頭株主であり、大富豪である。例外的に、ジョン・F・ケネディのように、その死によって英雄的な面が強く表れる場合もあるが、それはあくまで例外である。また、ヒーローには進取の精神が期待され、常に積極的な行動をすることが要求される。これは、何らかの成功をおさめるためには、停滞することは許されず常に前進しなければならないというフロンティア精神的な考え方に基づいたものと言える。

そして、アメリカのヒーローはアダムでありながら、アメリカの未開拓の地という荒野を開拓し人間社会に繁栄をもたらすという使命が存在する。このため、ヒーローには道徳性が求められ、不自然な形式主義を打ち破る力やある種の奔放さは許されるものの、社会的なモラルは厳格に守らなければならないとされている。ここには清教徒の伝統に基づく道徳観念が現れている。

加えて、アメリカにおいて、ヒーローは独力で事をなすことが重要視されている。単独での大西洋無着陸横断飛行を成し遂げたリンドバーグはその典型例と言える。また、アメリカン・コミックスにおいてもその思想は強く現れており、ヒーロー達は基本的に単独で事の解決にあたっている。

 

日本的なヒーローとは

 次に日本的なヒーローの特徴を挙げていく。日本におけるヒーロー像はアメリカとほぼ真逆と言ってもよい。まず、体格であるが、日本のヒーローは小柄な人物、または少年子どもの場合が多い。おとぎ話に登場する一寸法師や金太郎、桃太郎などはいずれも子どもであるし、牛若丸と呼ばれた源義経もまた線の細い美少年というイメージで広く日本に浸透している。アニメや漫画においても、うずまきナルトモンキー・D・ルフィといいた主人公たちはいずれも少年と呼ばれるような若者ばかりであり、筋骨隆々としたキャラクターが主人公となっている作品もあるとはいえ、全体で見れば少ないと言えよう。これは日本の諺で「大男総身に知恵がまわりかね」と言われるように、日本においては大きな体格の人間は愚鈍なイメージが連想されやすいことが原因と言える。

また、内田樹氏の「街場のアメリカ論」では日本のヒーローの象徴として「無垢な子供しか操縦出来ない巨大ロボット」を挙げている。『鉄人28号』では金田正太郎少年が『魔神ガロン』ではピックという少年が操作操縦することによって初めて機能するし、『マジンガーZ』、『機動戦士ガンダム』、『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公はいずれも少年である。内田氏はこれを戦後日本における「自衛隊」と「憲法9条」というねじれ、つまり戦前の軍国主義的なものと戦後の戦後の民主主義、平和主義的なものの間に存在するねじれと、アメリカと日本のねじれという問題を物語的に解決するものであると説明している。戦後において大人たちが同じ失敗を繰り返さないことを子どもたちの無垢な心に期待し、巨大ロボットに大人という存在を投影し、自分たちを正しく導いてくれる存在として子供に期待しているのだとしている。そして、内田氏はこの物語群を日米関係にもあてはめ、アメリカという巨大な軍事力を日本が操っているという考え方を示しているとしている。

もっとも、過去から日本においては少年や華奢な人物がヒーローとして描かれていたことを考えると、戦後の日本漫画、アニメでよく見られる少年と巨大ロボットという組み合わせは日本人の昔からの美意識が根底にあるように考えられる。小さな存在である少年が自分よりもはるかに大きな存在である巨大ロボットを操る姿は、源義経が大男である武蔵坊弁慶を打ち負かし従えたこと、桃太郎や一寸法師が巨大な鬼を倒して財宝を得た話などに見られるように自分より大きな存在を打ち負かし支配服従させる、あるいは退治するという姿に重なるものがあると言える。このように、日本では小柄な者や少年子どもがヒーローとして扱われる場合が強い。

次に日米のヒーロー像の違いとして挙げられるのが、ヒーローが成功を収めるか否かである。日本では最終的に成功を収めた人物はヒーローになりにくいと言える。アイヴァン・モリス(Ivan Morris)による『失敗の高貴さ―日本史の悲劇的な英雄たち(The Nobility of Failure: Tragic Heroes in the History of Japan)』で、彼は西洋の「目的成就のエートス」と対立する「複雑な日本的伝統」を指摘している。彼は「圧倒的に旧套墨守の傾きがあり、権威と先例に人々が威圧されている社会にあって、義経や隆盛のような性急で反抗的で感情の正直な人は、特別の魅力を持つ。・・・彼らのあらゆる奮闘が失敗に終わったことは、彼らの生涯に一抹の哀愁をさそう力を与え、人間の努力の空しさをはっきりさせると同時に、彼らを最も愛され慕われるヒーローにする。」とも述べている。モリス氏が示唆するように、日本人のヒーロー観には「敗北の美学」とでも呼ぶべきものが存在すると言える。源義経西郷隆盛のほかにも、武田信玄坂本龍馬といった日本で英雄として扱われている人物の多くはその志半ばで倒れている。『あしたのジョー』の矢吹ジョーが最終話で敗れたのも日本人のこのヒーロー観から来るものと言える。

そして、アメリカのヒーローと異なり、日本のヒーローには集団でヒーローと認知されるものが多い。赤穂浪士真田十勇士、またアニメ漫画では『サイボーグ009』『秘密戦隊ゴレンジャー』『美少女戦士セーラームーン』『プリキュアシリーズ』などが挙げられる。アメリカン・コミックスにも『ファンタスティック・フォー』『X-MEN』などが挙げられるが日本のそれと比べるとはるかに数が少ない。これは日本の個より集団を優先する集団主義に基づくものと考えられる。

 

アメリカン・ヒーローは日本に受け入れられるのか

 以上のように比較してきたが、アメリカン・ヒーローと日本のヒーローはほぼ真逆の存在である。もちろん、日本にもキン肉マンケンシロウのような筋骨隆々なヒーローは存在するし、常にヒーローの敗北を美学として捉えているわけではなく、ヒーローが目的の成就に失敗すればそれを非難することも多い。

日本のヒーローとアメリカン・ヒーローの間にある最も大きな違いはヒーローが守護者であるか破壊者であるか、という点である。アメリカン・ヒーローピューリタンの伝統に則り、厳格なルールや社会的モラルの下で活動し、社会や文明の発展の貢献し、男女関係や家族関係なども含んだあらゆる道徳を遵守する正義の存在として描かれる。つまり、アメリカン・ヒーローは社会や国家を守護する者として扱われていると言える。これに対して日本のヒーローは社会や国家、組織の破壊者であることが多い。平将門織田信長高杉晋作といった英雄と呼ばれる人物たちは古い慣習を破壊し、新時代を築こうとしてきた人物ばかりである。そして、うずまきナルトケンシロウといったアニメ、漫画のヒーローたちも世界に風穴を開け、新たな時代を築いていこうとするキャラクターが多い。ここから考えられるのは、日本人はヒーローに対して変革を求めている傾向があるということである。ただ単に善政をしき、悪を罰するだけではなく、さらに変革をもたらすために活躍する人物に魅力を感じているのだと考えられる。そのため、社会的に悪とされる存在を滅ぼすことに重きを置き、変革よりも安定を与えるアメリカン・ヒーローは日本人には受け入れられにくいものだと考えるべきである。

 

参考文献

赤穂浪士はアメリカでヒーローになれるか:ヒーローの日米比較』山下興作 高知大学学術研究報告 第46巻(1997) 人文科学

アメリカン・ヒーローの系譜』亀井俊介 研究社出版 1994年第4版

『街場のアメリカ論』内田樹 文藝春秋 2010年初版

 

いかがだったでしょうか? 次回もお楽しみに。

6月後半の総括

やってしまいました。更新が遅れたせいで6月後半の総括が2回分になってしまいました。(少なっ)しかもうち1回は・・・ いや、とにかくどうぞ!

 

6/24 新入会員研究発表 

なんとこの回はまさかの四本立て!!  多ない?多あるな

5限の1本目は女子会員KKさんによる「『おそ松さん』から見えてくる現代の若者像」でした。六つ子たちの様子は現代の若者の対人関係や恋愛を象徴していると発表してくれました。 おそ松さんは社会派アニメ(確信)そもそも全員ニートですしね。

 

5限の2本目はテンション高めのOYくんの「『咲-Saki-』の影響による麻雀の健全化について」でした。賭博を扱った漫画により不健全、賭け事と切っても切れない関係というイメージがついてしまった麻雀を『咲-Saki-』が打ち消したということを打ち出してくれました。この発表には『闘牌伝説アカギ』や『勝負師伝説・哲也』などが麻雀漫画の例として挙げられたのですが私としては『スーパーヅガン』なんですよね。(大好きな三波春夫が主題歌歌ってたからなんて口が裂けても言えない

 

続いて6限の1本目はこちらも女子会員IMさんによる「スタジオジブリ千と千尋の神隠し』の人気の理由は日米で共通なのか」でした。

ジブリ最大のヒット作であり、欧米にジブリの名を知らしめた『千と千尋の神隠し』のヒット理由は日本では作品の中で成長する千尋に自分を重ね合わせてみることで世界観に引き込まれ何度も見たくなること、アメリカではアジアの異文化に対する興味と異なっているのではないかということを提言してくれました。ちなみに私は千尋の父が冒頭で言う「任せとけ、この車は四駆だぞ。」というセリフが大好きです。

 

6限2本目は私と同じ高校出身のKKくんの「『仮面ライダードライブ』がなぜ仮面ライダーなのか」でした。昨年度放送されていた『仮面ライダードライブ』は、」バイクではなく自動車を運転する。定職についている。などの点から他の平成、昭和ライダーとは大きく異なると述べ、にもかかわらず私たちはどこから仮面ライダーであると認識するのかについて発表してくれました。ちなみに私が一番好きなライダーはV3です。

 

6/27 研究発表(予定) 発表者の都合により延期に

 

2回しかないうえにうち1回は何もしてないという絶望的な状況でしたが、来月は大丈夫(多分)。次回もお楽しみに。

入会や見学の希望はいつでもtwitterかメールで。

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6月前半の総括

暑いし雨降るし何か嫌な天気ですね。更新忘れてたわけじゃありませんよ。

6月の活動報告やっていきましょう!

 

6/3 新入会員研究発表準備+基礎講座日常アニメ編

はい。私が基礎講座やりました。日常アニメというジャンルの起源、歴史、分類から今後の展望までを語りました。そして自分はつくづく喋りに向いていないことを痛感しました。(それじゃダメじゃん春風亭昇太です

 

6/6 新入会員研究発表準備+基礎講座音楽ゲーム

音ゲー廃人の当会会計が音ゲーの歴史、各社の特徴、今の問題など多岐にわたって語ってくれました。一口に音ゲーっていってもいろいろあるんですねー。

 

6/10 新入会員研究発表準備+基礎講座アニメ製作編

出戻りの前会長がアニメ『SHIROBAKO』をテーマにアニメ制作の流れやアニメにかかわる職種について語ってくれました。去年も同じようなの聞いた 何度聞いてもためになりますね。

 

6/13 新入会員研究発表準備+全体会議

恒例の会議を行いました。ちょっと大きなことを決めました。

 

6/17 新入会員研究発表1回目

すでに2回生の貫禄がある1回生、KTくんが『「大戦」シリーズから見る艦これACの今後』をやってくれました。結構考証がしっかりしてて将来有望だなぁと思った次第です。ちなみに大学近くのゲーセンにあるのはすでに過疎気味だとか。

 

6/20 新入会員研究発表2回目

物静かながら中に熱いものを秘めたNYくんが『「アニマス」と「デレマス」変わったもの変わらないもの』をやってくれました。世界観、一貫したテーマなどから系列の2作品を比較検証してくれました。ゼノグラシアの話で少しざわつきました。

会長の縁故Sくんは「遊戯王の規制方法はこのままでいいのか」をやってくれました。デュエリストとして現在の規制方法とそれによって起こっている問題、その解決策の考察とその策のメリットデメリットなど他のカードゲームと比較しながら考えてくれました。強さのインフレの説明をカップを用いてしてくれたことが分かりやすく目から鱗でした。会長より有能かもしれない。

 

以上です。興味を持たれた方は月曜、金曜の5.6限に諒友館847に一度来てみてください。twitterやメールでのお問い合わせも大歓迎です。 

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5月後半の総括

6月ですねー。さあ5月後半の総括やっていきましょう!

5/20.5/23.5/27 (手抜きじゃないぞ☆)

新回生の皆さんの研究発表の準備でした。

マインドマップの作成→課題文作成→テーマ選定→草案作成まで行っていきました。まだまだ進行度はまちまちですが、皆さん上回生の力を借りながら頑張っていました。

今月半ばごろから徐々に発表していただくつもりです。

5/30

同じく発表の準備+基礎講座ソーシャルゲーム

ソシャゲ廃人庶務長によるソーシャルゲームの発展、問題点、これからなど話してくれました。

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今回はここまでにしときましょうか。

毎週月曜、金曜の5限6限に諒友館847に活動していますので気になる方は一度来てみてください。それでは。

復刻版5月号

一時は存続が危ぶまれたこの企画ですがなんとかなりました。

今回は 2013年春号であるvol.13の三木筆氏による「経済学から見る転売屋」です。スクロールしてどうぞ。

 

 

 

経済学から見る転売屋

文責:三木筆

【はじめに】

 コミックマーケット(以下コミケ)は年に2回、夏と冬に行われる世界最大規模の同人誌即売会である。元々は1975年に参加サークル数32,参加者数700人で始まったイベントだったが、昨年の夏は三日間の累計来場者数56万人を超えるなど日本でも最大級のイベントとなっている。しかしこの三十年以上の歴史の中で、コミケは参加者のモラルの問題、イベントの大規模化に伴う問題を内包してきた。以下ではネット上でも特に話題に上る問題である「転売屋」について①経済学的な観点から、そして②倫理・道徳的な観点から、という2つの観点を持って考察して行きたいと考える。

 

【転売屋とは】

 転売屋とは主に数量が限定されているなどの理由で入手困難な商品を入手し、主にインターネットオークションを利用し高値で売却することを生業・趣味としている人の事を指す。転売屋には迷惑防止条例違反で逮捕される転売屋と、迷惑防止条例に引っかからない転売屋の2つがある。

まず前者はいわゆるダフ屋と言われているもので、①転売目的でチケットや券を、公衆に対して発売する場所において購入すること。②公衆の場で、チケットを他者に転売すること、のいずれかの要件が満たされていた場合ダフ屋行為に該当する。後者は限定グッズのような後々値段が上がる商品を入手し売買する人々であり、チケットを売買してないため上記の迷惑防止条例にはあたらない。前者は迷惑防止条例違反であり問題があるのは明らかである。しかし後者が迷惑防止条例違反ではないからといって果たして問題のないことなのであろうか。以下では主に後者の転売屋について書く。

 

【市場の原理】

転売を認める意見には次の2つがある。1つは個人の尊重に関わるもの、2つ目は社会的効用の最大化に関わるものだ。 1つ目の主張によれば人々は他人の権利を侵さない限りなんでも自由に売り買いすべきだ。つまり規制をするということは転売するという個人の自由を侵害すると考えている。

2つ目の主張は経済学と関係が深い。つまり市場取引は売り手と買い手双方に利益を生み出し社会的福利、あるいは社会的効用を向上させる。社会的効用になじみの無い方は「幸福度」という言葉に置き換えてもいい。行列に並ばずに会場の値段よりも高い金を払うことで買い手の福利は向上するだろう。さもなくば高い金を払わずに並んだはずだ。一方、行列に数時間並んで転売利益を得ることで「転売屋」の福利は向上するに違いない。さもなくば彼は並ばなかったはずだ。取引の結果双方の福利が向上し我々の効用は増大する。経済学者が言う自由市場は財を効率的に分配するとはそういうことである。自由市場の議論が正しいとすれば転売屋が非難されるのはおかしい。むしろ彼らは称賛されるべきだ。不当な安値のついている財を支払い意思額の最も高い人の手に渡るようにして社会的効用を増大させているからである。

 

【市場vs道徳 】

では転売屋を非難するのはどういう意見なのか。まず一つ目は「本当に買いたいと思っている人が買えない」という主張であろう。しかしこの主張は少しおかしい。転売屋が購入者の数を減らすということはない。確かに転売屋がいなければ別の人に商品が渡るのは当然である。しかし転売屋から転売される人もその商品を欲しがっている。だからわざわざ高い金を出して転売屋から購入するのである。

転売屋を非難する意見はこういった方が適切かもしれない。「高い金を出せない人にとって転売行為は不正そのものだと。転売行為のせいで貧乏人は不利な立場に追いやられ商品を手に入れるのが難しくなる」これに対し自由市場主義者はこう答えるかもしれない。「販売者が商品を最も欲しい人に渡って欲しいと考えるなら、その商品を最も高く評価してくれる人がそれを手に入れるべきであろう」と。

しかしこの論には説得力がない。なぜならある財への支払い能力が、その財を最も高く評価しているとは結びつかないからである。例えば野球の特等席のチケットを買う人が、外野席に座っている初めて球場にきた野球少年よりも、その試合を重要と感じているかは断言できないであろう

 

【市場と祭り 】

ただし自由市場主義者はさらなる根本的な反論を免れない。つまり市場だけで考えるだけでは不十分だということだ。一部の財は、それが個々の買い手や売り手に与える効用を超える価値を持っている。市が主催する無料の芝居について考えてみよう。それは一種の市民的な祝典である。もちろん座席には限りがあるがその考えとしては、支払い能力にかかわらず誰にでも自由に劇を見てもらおうということなのだ。贈りものと考えているのに並び屋に儲けさせるのは目的にそぐわない。そんなことをすれば公的なお祭りが商売に、個人が利益を得るための道具になってしまう。そうすると市としては贈り物のつもりが、逆に料金を払わせているようなものである。

コミケに関しても同じことが言えるのではないだろうか。『コミックマーケットC61カタログ 理念と目的』から引用する。(太字は筆者の独自の判断)

コミケットは企画参加者としてのサークル、読み手、受け手としての一般参加者、そして準備会の三つの構成要素として行われるマンガ、アニメ、etc.のファンの交流会です。コミケットをとり行うのは全ての参加者であるというのが基本であり、参加者全員は全て平等であらねばなりません。━コミケット営利を目的とせずマンガ、アニメなどに関わるアマチュアのために力を貸していくシステムであり、ひとつのムーブメントとして自らを規定します、とされている。

このようにコミケは交流会で営利を目的とはしないイベントであり、市民的な祝祭と同様の性格を持っている。またコミケ参加者にとってもコミケとは年に2回のお祭りである。彼らにとって市場的な利益を追い求める転売屋が存在することは、そのお祭りの目的にそぐわないのである。

 

【市場と道徳】

転売屋から商品を買うという行為は、道徳の倫理(順番をまつこと)を市場の倫理(お金を払って良いサービスを受けること)に置き換えてしまう。お金を払うことと待つことは物事を分配する2つの異なる方法であり、それぞれ異なる方法に適している。「早い者勝ち」という道徳の倫理には平等主義的な魅力がある。この原則は公衆トイレなどの行列にふさわしいように思える。裕福な人だからといって割り込みを認めるのは奇妙であろう。しかしだからといって行列の倫理はあらゆる場面を支配するわけではない。家を売りに出した時に最初の申込者を受諾する義務はない。より多くの金を出す人に売るべきなのだ。家の売買と公衆トイレは異なる活動であり、1つの原則があらゆることに当てはまるわけではない。

ここで転売屋について考えてみると。上記のように転売屋を非難する意見としては道徳の倫理からの観点から、擁護する意見は市場の倫理から導かれる。しかし実際我々は対立するどちらか一方の倫理のみで物事を判断することは無いのである(例えば動物実験は医学の発展と道徳の間で論争がおきる)。大事なのはバランスでありどちらかの倫理をえこひいきしてはならないのではないだろうか。

近年道徳の倫理が市場の倫理にとって代わってきている。お金を払っての行列の割り込み(並び屋、転売屋)が盛んになったのは最近のことであり30年ほど前では想像もできなかった。コミケというお祭りにも市場の倫理が侵入したことで両者の間に軋轢が生じるのは当然といえるだろう。

 

 

 

【参考文献】

マイケル・サンデル『それをお金で買いますか――市場主義の限界』鬼澤忍訳 早川書房 2012

・最終日は21万人が来場 3日間で過去最多タイの56万人 震災前規模に - MANTANWEB(まんたんウェブhttp://mantan-web.jp/2012/08

コミックマーケットC61カタログ 「理念と目的」

 

いかがだったでしょうか? 来月も(多分)お楽しみに。

5月前半の総括

やっとガルパンのBDを予約しました。5月前半の活動報告です。

5/6 研究発表「死に対する人物表現」

当会庶務長による研究発表です。「ヒストリエ」を例に挙げ作品中の死に関する表現、人間の死に対する向き合い方について発表してくれました。

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5/9 研究発表「オンラインにおける不正、チートについて」

当会副会長による発表です。いわゆるチート行為がゲームに与える影響、さらにはゲームをプレイするとはどういうことかにまで踏み込んで発表してくれました。

 

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※彼たっての希望によりモザイクを入れました。

 

5/13 全体会議、入会手続き&食事会

会則変更に関する会議と新入生の入会手続きの初回を並行して行いました。14人の新たな会員がやってきました。感謝です。

その後、新回、既回交えて焼肉を食べに行きました。楽しいひと時でございました。

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5/16 基礎講座 基礎講座「ボーカロイドの歴史と発展」

例のボーカロイド好き会長による基礎講座です。ボーカロイドの歴史、これから、落ち込んでいる現状の回復についてまで話してくれました。

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というわけで報告はここまで!入会は今からでも大丈夫ですのでとりあえず毎週月曜、金曜の5限6限に諒友館847に足を運んでみてください。よろしくどうぞ。

4月後半の総括

もう4月終わるとか早ない?早あるな というわけで活動報告です。

 

4/23 BKCでの新歓祭典 

前日の活動をお休みさせていただきこの日は滋賀へ! はっきり言って遠い。

ZINLOSSvol.18にも掲載された会計による「響け!ユーフォニアム」に関する研究発表を行い、その資料としてアニメ本編の鑑賞会を行いました。(もちろんZINLOSSの配布、会の紹介も忘れません)60人余りの方にお越しいただきまして本当にありがとうございました。まさかこの日に2期の放送時期が決定するとは。

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掲示していたビラ

 

4/25 研究発表

このブログの管理者である私、情宣長による研究発表「声優の歌手活動に関するいくつかの考察」を行いました。私がやってたから例により写真はないよ。ちょっと参加者は少なめでしたが、まあそういうこともありますよね。この二日後に予想してましたが西明日香さんのソロデビューが決まりましたね。

 

4/29 全体会議

既回生対象の会議です。内容は書いちゃいけない気がします。

なお、ここで決めましたが旧ブログ、HPは5/31をもって廃止いたします。

 

いやー。結構大変でしたね。会長、会計、編集長には頭が下がります。

もちろん5月以降もいろいろやっていきますのでよろしくお願いします!